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春や昔 十五万石の 城下哉(伊予国松山)
2013-08-14 Wed 22:43
祖谷に別れを告げ県道45号線国道32号を経て再び井川池田ICへ
徳島道松山道を通って伊予国温泉郡(現在の愛媛県松山市)へ向かいます。

徳島自動車道は全線対面通行で運転し辛い
交通量が少ないので、対面通行になったのでしょうが、
制限速度が50~60kmの高速道路を無理矢理作って有料化するより
同じ高規格道路でもバイパス等の自動車専用道にした方が
建設費も安く付くし利用料も安価で効率が良いのでは

…なんて事を家族でワイワイ言い合いながら車を走らせていると、
いつの間にやら松山に着いてしまいました高速道路とは、ここでお別れです。

松山ICから北上して市街地に入り松山城へ

実は子供の頃当地に住んでました。
地元の人は、松山城が乗っかっている山を勝山と呼ぶのですが、
麓に住んでいた私は散歩がてら勝山を登り、よくお城に遊びに行ったものです。

ドラマ「坂の上の雲」の冒頭、秋山兄妹と子規が石段を駆け上っていく
シーンがありますが、懐かしかったですね~^^


「坂の上の雲」オープニング


現在、松山城に登城するには主にロープウェー街の東雲口から
ロープウェーかリフトを使う事が多いとされていますが、
それは観光客向けの話で、地元の人は一々ロープウェーにお金を払っていては
埒が明きませんので、歩いて登ります。
ロープウェーに沿って登る東雲口登城道が緩やかな坂になっていて登り易く
観光案内では徒歩だと20~30分とされていますが、
実際には15分程度で登っていたように記憶しています。

今回は東雲口登城道を利用せず黒門口登城道を使いました。
江戸時代には、こちらが正規のルートだったのです。

amap.gif
お城周辺MAP…クリックで(2段階)拡大します。

官庁街の県庁舎横を抜けると、二の丸駐車場が在るのですが、
実はこの駐車場、無料で利用出来るのです


駐車場の程近くに二之丸史跡庭園が再現されているらしく、立寄ってみる事に
(詳しくは文中の青い文字をクリック)

松山城1
二之丸御殿の模型…屋根を取り払った間取りを再現しています。


松山城2
二之丸奥御殿の間取りを、遺構(実際に在った場所)の上に水盤を張って再現しています。


松山城4
大井戸遺構…昭和59年に発掘された巨大な井戸
         帝政ロシア時代の10ルーブル金貨が出土しています。 
         日露戦争当時、松山にもロシア軍人捕虜収容所が設けられ
         当時この場所に在った陸軍病院に多くの捕虜が入院しました。
         金貨にはロシア人男性捕虜と日本人看護婦の名が刻まれていて
         往事が偲ばれます。


松山城3
二の丸御殿跡から垣間見た天守…澄み切った青い空と深い緑に天守の白(城)が映えます


松山城5
黒門口登城道…嘗ての表登城道も今では利用者も少なく、ちょっと寂しい道行ですが
          木陰が陽射しを遮ってくれるので、意外と辛くありませんでした。


     松山城6
     15分も登ったでしょうかやがて太鼓櫓が見えてきました。


          松山城7
           更に奥には天守も見えます。


松山城11
お城をみていると、思わず子供の頃の思い出が蘇ってきました懐かし~


松山城10松山城9

松山城の本丸は、本壇(天守)から筒井門まで大きく南に距離をおいているのが特徴

松山城8




hondan.gif

大天守は三重三階地下一階の層塔型天守で、
黒船来航の翌年落成した江戸時代最後の完全な城郭建築。
我が国に現存する12天守の内、唯一瓦に葵の御紋が付されています。

大天守、小天守、隅櫓を廊下で結び、防備に徹したこの天守建造物群は
連立式城郭と呼ばれる、代表的な築城方式です。


松山城15
城内の階段は急勾配


松山城14
狭間(さま)…攻城してきた敵に対し、ここから鉄砲などで攻撃を仕掛ける。


松山城17
北隅櫓から大天守を臨む


   松山城16
   大天守最上階からの眺め


松山城12
一ノ門手前より大天守を臨む…右に一ノ門南櫓、左の小天守に挟まれ
                   正面に大天守が迫るこのスポットは圧巻
                   しかし正面に見える大天守の手前には筋鉄門東堀が立塞がり
                   右前方の一ノ門を経ないと先に進めない。



最後に面白いサイトを紹介しましょう。

Googleマップ ストリートビュー・松山城 は、360度好きな方向を見て、進む事が出来ます。
同時にMAP上の現在地も確認出来るスグレモノ
是非松山城本丸内を疑似体験してみて下さい。
(文中の青い文字をクリックするとサイトが開きます)

ところで、当記事のタイトル「春や昔 十五万石の 城下哉」は当地縁の俳人 正岡子規が
詠んだ句で『十五万石の城下町を誇っていた松山も今は昔となってしまった』という意味。
その後子規は中国への従軍の途につく事になるのです。

子規の句と、我が幼少の想い出を重ねながら暫し感慨に耽っていましたが、
腹が空腹を訴え足が疲れたと愚痴るので、仕方なく宿に向かう事にしました

今宵のお宿は道後温泉の老舗旅館 鮒屋(ふなや)
宿泊の様子は次回へと続きます…

それにしても情けなきは、我が腹と足なりき


以降は、少し堅苦しい話になりますので興味の無い方はスルーして下さい。

城内の展示品から印象に残った1点をご紹介しましょう。

松山城13
九代藩主 松平定国の書 1789年夏の作

この年の元日に落雷により天守が消失してしまう。
失われた天守の再建には、当時 幕府の許可が必要であったが、
謀反を恐れてか、中々許可が下りなかったと言う。

人事を尽くして、ようやく許可を受けたのは6月29日の事であった。
恐らく、その直後の作だと思われます。


禅の言葉で

人皆苦炎熱 我愛夏日長   薫風自南来 殿閣生微涼

人は皆炎熱に苦しむも 我れ夏日の長きを愛でむ
薫風は南より来たる 殿閣に微涼の生ず

文宗帝が
「世の人々は、“暑い暑い”と夏を苦しんでいるが、
私は日の長い夏が大好きだ」 と言うと

柳公権が
「春から初夏ともなれば南の方から春の香りを含む風が吹いてきて、
城の部屋の隅々まで涼やかな雰囲気に包まれてしまいます」 と答えた。

文宗帝【808年~840年】…唐(中国の王朝)の第17代皇帝
柳公権【778年~865年】…文宗帝の臣下 穆宗、敬宗、文宗の3代の皇帝に仕えた

つまるところ、元は皇帝と部下の何気ない日常の会話なのですが、

禅の解釈では
『夏の風も感じ方によって、嫌いだ!っと思っていると熱風に思えてしまう
しかし夏が好きだ!っと思うと、同じ風でも全く違って感じる事が出来る』

要約すると、物事はマイナス思考ではなくプラス思考で捉えると
何事も上手くいく…という事でしょうか
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