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ブルーインパルスと戦争の記憶
2012-11-06 Tue 02:32
インパルス7

最近ご無沙汰していますが、
以前の住まいからは、年に数回ブルーインパルスの飛行を見る事が出来ました。
ある意味、今思い返しても恵まれた環境だったと思います。


当時の住まいから上空を飛行するブルーインパルスを撮ったのが、こちら
ニコ動の初投稿作品です。
本格的なビデオカメラではなく、デジカメのオマケ機能で撮っているので画質が悪い。


現在は広島に住んでいて、お隣の山口県岩国基地の航空祭にでも行かないと
その雄姿を見る事は出来なくなりましたが、
実はブルーインパルスと広島にはちょっとした因縁めいた関わりがあるのです。

それは“ブルーインパルス”というネーミングの由来

そもそもブルーインパルスの誕生は1959年に遡る
同年に来日したアメリカ空軍のサンダーバーズ(アクロバットチーム)を見た
当時、航空幕僚長だった源田実の発案とされている。
因みに源田実は戦前は航空参謀を、戦後には空自の航空幕僚長を歴任した
根っからの航空畑の軍人である。
参議院議員を4期勤めた後、平成元年に亡くなられた。
奇しくも終戦記念日の8月15日が命日

話をブルーインパルスに戻そう

サンダーバーズ来日の翌年、航空自衛隊浜松基地第1航空団第2飛行隊内に
空中機動研究班が発足、後のブルーインパルスである。
当初は“天竜”という愛称で呼ばれていたが、
“チェッカー・ブルー”を経て現在の“ブルーインパルス”となる。

自衛隊の飛行隊には無線識別用のコールサインが割り当てられる。
更に小隊にはカラーコードが付けられる。
発足した当時の第1航空団第2飛行隊のコールサインは「インパルス」
そしてアクロバット小隊のカラーコードは「ブルー」であった。

当時の編隊長だった稲田淳美3佐はアクロバット小隊の愛称を
当時のコールサインの「インパルス・ブルー」とするか?
逆の「ブルー・インパルス」とするか迷っていたという。

決め手となったのは英子夫人の言葉だった
『もし衝撃的(インパルス)と言うのなら、その結果があまりに悲惨ではあるけれど
原爆のあの青い閃光の衝撃ほど強烈なものはない』

英子夫人は広島に原爆が投下された当時、隣の呉からあの強烈な青い光を見た!
その体験がインパルス・ブルーではなくブルーインパルス【青い(閃光の)衝撃】
へと繋がったという事か…

“ブルーインパルス”という名には、「あの戦争を乗り越えて強く羽ばたく」といった
想いが込められているのかも知れませんね。




昨年の大震災を乗り越え、人々の希望を翼に乗せて飛翔する…
…といったイメージの動画にしてみました。


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