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空の兵(ツワモノ)たち
2010-02-16 Tue 01:47
昭和17年(1942年)4月
南太平洋のパプアニューギニア領ニューブリテン島ラバウルに
日本の台南航空隊が進出していた。
太平洋戦争が始まって間もない頃である。

台南航空隊の中でも「笹井中隊」には、中隊長の笹井醇一をはじめ
坂井三郎一飛曹、西澤広義一飛曹、太田敏夫一飛曹、本田敏秋二飛曹、
羽藤一志三飛曹、遠藤桝秋三飛曹他
撃墜王として名を馳せた面々が名を連ねていた。
文字通り最強のパイロット集団だったのである。

しかし彼等の中で最後まで生き延びたのは、
戦後にその著書「大空のサムライ」で世界的に有名になる
坂井三郎だけであった。

一般に軍人と言えば、堅苦しいイメージを持たれる方も多いかも
しかし彼等は違っていた。
今回は祖国のために戦い、その多くが散っていった
エースパイロット達を偲んでみたいと思います。


彼等には様々な逸話が残されていますが、
その中でも、こんなエピソードをご紹介しましょう。

ある日の事、ポート・モレスビー(ニューギニア)攻撃の後、
坂井一飛曹、西沢一飛曹、太田一飛曹は
予ねてより相談していた計画を実行に移した。

何とモレスビー飛行場上空で三機編隊の宙返り を試みたのだ

その豪傑さに驚いたのか敵は反撃もせず、
地上で彼らの宙返りを呆然と眺めていたとか…

当の彼等はというと、あまりにも爽快で気持ちがいいので、
調子に乗って高度を下げ二度三度と繰り返し宙返ったが、
結局敵は一発も打ってこなかった。

この事は三人の秘密にしておいたのだが、
その後、米軍機から思わぬ手紙が基地へ投げ込まれたのである。

「編隊宙返りの勇士たちよ、
今度来るときには緑色のマフラーをつけてこられたし。
我々はその勇士を歓迎する」と、その手紙には記されていた。

結局笹井隊長の知るところとなり、散々怒られたとか…

この映画のようなエピソードは有名ですが、
敵前で編隊宙返りを行って見せた坂井達も豪傑ならば、
その行為を認めて、招待状まで送ってくるアメリカ軍機も
中々に愉快なのです。



そんな彼等の名言集を集めた動画です
    

後半で、お隣の国への悪口も言っていますが、冗談だと思って受け流して下さい^^;





1942年8月7日、最初のガダルカナルへの長距離作戦飛行で、
坂井一飛曹はのちにエースとなるジェームズ・J・サザーランド大尉
(VF-5:空母サラトガ所属)の乗ったワイルドキャットを撃墜。
    



動画が再生出来ない場合は、こちら
     





この戦闘の後、坂井一飛曹は遠方に8機のワイルドキャット(戦闘機)を見つけ、
撃墜するためにスロットルを開いた。

しかし彼がワイルドキャットだと思ったのは、
カール・ホレンバーガー大尉に指揮されたVB-6(第6爆撃飛行隊)の
ドーントレス急降下爆撃機だったのです。

それが罠だと気づいたとき、
ドーントレスの後部銃手たちが7.62mm 2連装旋回機銃の火ぶたを切った。

日本海軍のエースは集中砲火をあびてひどい傷を負いながらも、
4時間半にもおよぶ飛行のすえラバウルへ帰り着きます。

この負傷で彼の右目は視力をほとんど失い、本土の病院へ送還されることになる。


坂井が帰国する際、笹井は目に涙をいっぱいにして、
「貴様と別れるのは、貴様よりもつらいぞ」と言いながら別れを惜しみました。

虎の姿が浮き彫りにされたベルトバックルを引きちぎり、
「これはな、俺の親父がこの戦争がはじまったとき、
わざわざ誂えて俺たち3人の兄弟にくれたんだ。
虎は千里を行って千里を帰る、という縁起だ。
だから貴様も、千里の内地へいって、治してからもういっぺん帰ってこい。
いいか、待ってるぞ」と言って渡し、坂井の手を痛いほど強く握ったという。

そして坂井の帰国から14日後の8月26日、連日の戦闘の疲労をおして
笹井は陸攻17機を援護する零戦9機の指揮官として出撃する。

ガダルカナル島上空で迎撃の米海兵隊のF4F戦闘機12機と交戦し、
米海兵隊撃墜王のマリオン・カール大尉を単機で追尾。

敵基地上空への単機突入という危険極まりない状況にも関わらず
カール大尉を終生感服せしめた勇猛さをもって笹井は反転再攻撃。
米海兵隊員数百人の眼前における低空での壮絶な一騎討ちを演じた結果
未帰還となる。

この晩、笹井の未帰還を知らない従兵が、
宿舎食堂のいつもの場所に笹井のはし箱を並べたのを見て、
笹井指揮下の第三小隊長として出撃して帰還した高塚寅一飛曹長が、
「笹井中尉は、めしを食わんといっとったぞ」と叫び、
続けて「おい、笹井中尉のはし箱はな、あしたから、俺が使うぞ。
その代わりにな、俺のはし箱は貴様にやるから、あしたから使え」
と泣き出しそうな表情をしてほえたてていたという話が残されている
その高塚飛曹長も翌月、9月13日のガダルカナル攻撃で未帰還となる。


笹井を撃墜したカール大尉の、その後日談や、
他の笹井中隊のパイロット達の運命など、
語りたいエピソードは他にも沢山あるのですが、
長くなるのでやめておきます
その一部は、1番目の動画でも紹介していますので…


常に“”と隣り合わせに在りながら、生きる希望とユーモア、
優しさと力強さを併せ持ち、全力で生きていた彼等が輝いて見えるのは
私だけでしょうか

最後まで生き残った坂井三郎氏は、2000年9月に永眠されるまで、
自らが撃墜したライバル達の勇戦ぶりを、
その祖国に紹介する等の活動を行っています。
彼なりの責任の取り方だったのかも知れません。

坂井がラバウルから帰国する際に笹井が渡した、あのバックルは現在
坂井の飛行帽とゴーグルと共に
米テキサス州フレデリックスバーグ博物館に寄贈、展示されていると言う。

ここまでご覧下さった方、長々とお付き合い下さり本当に有難うございました
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