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日本海軍航空隊最後の煌き(第三四三航空隊・剣部隊)
2012-11-10 Sat 17:52
紫電改1

前回の記事にて、ブルーインパルスは源田実の発案で創られたと紹介しましたが、
他にも彼が創設した部隊があります。

先の大戦末期 昭和20年に日本本土防衛のため組織された海軍第三四三航空隊
通称「剣部隊」
上の写真は主力戦闘機「紫電改」





日本近海に米機動部隊の接近を許し
連日国内の主要拠点が攻撃されていた、この時期に
甲飛10期生の新米パイロットが主力ではあったが
可能な限りのベテランパイロットと新鋭機材が集められた。





昭和20年3月19日本土攻撃のため飛来した米艦載機群を迎撃した剣部隊は
57機を撃墜したと報告されたが、実際の米側損失は34機
(純粋に撃墜されたのは14機)だったようである。
剣部隊の未帰還機は13機とされているので、
三四三空だけで見れば互角に戦った事になる。
戦局が圧倒的不利な当時としては見事な成果と言える。

但し日本軍全体では陸海軍合わせて約50機の損害を出しているので、
戦略的には米軍の勝利と言わざるを得ない。

長期的戦略より短期的戦術を重視する日本軍の傾向は、
この頃(戦争末期)になってもあまり変わらなかった様である。

沖縄方面へ出撃する特攻機に対し米軍は強力な戦闘機隊を配備
これを排除し特攻機の進路を確保する為、鹿児島の鹿屋基地に進出
米艦載機群との激烈な戦闘と展開するが、
その後、敵との間合いをとる為 長崎の大村基地に後退する事となる。

三四三空は迎撃を主任務としていたため、敵機の来襲に迅速な対応が求められる。
その為何時どこから、どこに向かって敵が攻撃してくるのか
と言った偵察情報が重要となってくる。
侵攻して来る敵を発見した時に相対距離が近すぎると、迎撃準備を整える間もなく
会敵する事になるので、敵との間合いが必要になる。
必然的に三四三空の基地は戦局の悪化と共に後退していった。


相次ぐ特攻隊の出撃を横目で見ながら正攻法の運用が認められてきた三四三空にも
遂に特攻が下問されるが、志賀淑雄(飛行長)の反対で立ち消えとなる。
以下は志賀淑雄の証言




その後もB29の迎撃に当たり、多大な犠牲を払いながらも終戦まで戦い続けた
三四三空のパイロット達は間違いなく勇士であった。

創設者の源田実が戦争責任で責められるとしても、
彼の下で戦ったパイロット達には感謝を捧げたい…


最後にご覧頂く動画は3月19日に松山上空で行われた防空戦を
見事なCGで描いています。
前・後編に分けて掲載していますので、上から順にご覧下さい。














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